1960年代の切手の価値とは?人気と需要の高い商品を一挙に公開
「1960年代の切手は高く売れる?」
「どのような切手に価値があるの?」
このような疑問はありませんか?
1960年代、日本は空前の切手ブームに沸きました。
美しい浮世絵をモチーフにした切手の高騰やオリンピック開催記念切手の販売、琉球切手の買占めなど、大きな波が来た時代といえます。
しかし、ブーム終焉後、手元に残った切手の処分に困っているという方も多いのではないでしょうか?
本記事では、1960年代の切手ブーム時に販売された物のなかでも、高額で取引される商品を紹介します。
処分に困っている切手のなかに価値のある商品が眠っているかもしれません。
ぜひ参考にしてみてください。
1960年代に訪れた切手ブームの流れ
1964年、一冊の本の登場により切手ブームに火がつきました。
切手ブームの流れは以下の通りです。
- 江戸時代の浮世絵をデザインした切手に価値がつく
- 「切手でもうける本」が発売で切手ブームに火がつく
- 郵政省が売上増加を期待
- 東京オリンピック開催にむけて募金付き切手が販売
- 東海道新幹線開通記念切手の値上げ
順番に解説します。
江戸時代の浮世絵をデザインした切手に価値がつく
当時、江戸時代の浮世絵をモチーフにした美しい絵柄の切手が高い人気を集めて高額で取引されていました。
例えば、以下の切手が有名です。
- ・月に雁(つきにかり)
- ・見返り美人
- ・ビードロを吹く娘
- ・写楽
- ・蒲原
特に「国際文通週間の蒲原」の発行は切手ブームの火付け役と言われています。
蒲原の切手は、発行時に郵便局でシート(20枚)600円で購入できたものが、市場では1枚3,000円で売買されるようになり、買取価格も1,500円を上回るほどでした。
高額で取引できると知った多くの人が後悔し、「購入しておけば良かった」と感じたのです。
発売後に額面の何倍もの値がつくため、記念切手を発行時に購入すれば利益を得られるという認識を持つ人も増えました。
その結果、1960年代半ばからは、新しい記念切手が発売される日には、郵便局前に購入希望者の列ができる現象が見られるようになったのです。
切手買取については、以下の記事も参考にしてみてください。
「切手でもうける本」が発売で切手ブームに火がつく
1964年、切手収集の世界に新たな風を吹き込む一冊の本が登場しました。
本のタイトルは「切手でもうける本」で、発行したのは切手経済社という名の企業です。
切手経済社は店内に切手の最新相場を掲示し、切手市場の動向や将来の見通しについて分析する新聞を発行するなど、切手ブームの中心的存在でした。
しかし、このブームの中で同社を含む切手業者が扱うのは、未使用の記念切手にのみ限定されてたため、多くの人が「記念切手は未使用状態でなければ価値がない」と考え、実際に使用する人が減少しました。
結果、現在でも未使用の記念切手が数多く残されている一因となっています。
郵政省が売上増加を期待
切手の購入のみが進む中、行政側が何らかの対策を講じることが予想されましたが、郵政省は切手ブームによる売上増加を歓迎しました。
未使用のまま保管される切手は、郵便サービスの利用につながらないため、切手自体の収益が右肩上がりだったからです。
さらに、製造コストの低い切手による収益は「売り得」状態でした。
記念切手の発行は、印刷するだけで利益を生む郵政省にとって非常に有利なビジネスモデルとなったのです。
東京オリンピック開催にむけて募金付き切手が販売
1964年、東京オリンピックの開催に伴い、資金不足に直面した日本政府は当時盛り上がりを見せていた切手市場に目をつけました。
以前から発行されていた「募金付き記念切手」が、資金集めの手段として考えられたのです。
切手は「5円+募金5円」の10円で販売され、5円分の郵便料金として使用可能でした。
切手収集のブームと相まって異常なほどの人気となり、多くの日本人がオリンピックの成功を願うとともに、将来価値が増すと期待される、募金切手の購入を急いだのです。
さらに政府はオリンピック募金切手を合計20種類も発行。
募金切手の発行は、オリンピックの開催資金調達という重要な役割を果たし、無事オリンピックが開催される結果となりました。
しかし、1964年の東京オリンピック終了後、多くの人が期待していたオリンピック募金切手の価値上昇はありませんでした。
オリンピック募金切手は発行枚数が1億枚を超え、広く流通していたため希少性が低く価格上昇の余地はなかったのです。
東海道新幹線開通記念切手の値上げ
切手経済社は東京オリンピック終了後数ヶ月で、人気のある「東海道新幹線開通記念切手」を販売しました。
人気のデザインでありながら、切手経済社は価格を強引に上げ、一時的に1枚2,000円まで高騰。
しかし、実際は買取価格が極めて低かったため、長続きしませんでした。
最終的に、このような不安定な市場操作は終焉を迎え、切手経済社はさらなる手段を模索せざるを得なくなりました。
記念切手については以下の記事も参考にしてみてください。
琉球切手買い占めにより流通数を減らす施策が失敗
1969年、佐藤政権下でアメリカ合衆国との間で沖縄返還の合意がなされました。
返還前、沖縄ではアメリカ施政下のため、米ドルを基にした「琉球切手」が使用されていましたが、日本への返還後は切手の発行が終了することとなります。
そのため、切手経済社は琉球切手の価値が上昇すると予測し、特に1958年に発行された「守礼門復元記念切手」を中心に大量に買い占めました。
しかし、切手経済社の戦略は、切手コレクター界隈や一般の人からの信頼を損ねてしまいます。
買い占め行為に対して、日本郵趣協会をはじめとする正規の切手コレクター団体からは強い抗議があり、買い占めへの反対を訴えるシールが配布されるなどの反発を受けました。
1960年代に発行された価値の高い日本切手
1960年代は切手ブームのまっただ中にありました。
そんな中発売された1960年代の切手には、価値が高い切手も多くあります。
価値が高い切手は以下の通りです。
- ・趣味週間 1962 花下遊楽図|1962年
- ・趣味週間 1963 本多平八郎姿絵 千姫|1963年
- ・趣味週間 1965 序の舞|1965年
- ・趣味週間 1967 湖畔|1967年
それぞれ紹介します。
趣味週間 1962 花下遊楽図|1962年
1962年の切手趣味週間記念切手には、安土桃山時代の風俗を描いた「花下遊楽図(かかゆうらくず)」が図柄として選ばれています。
一般に見られる金箔を使った華やかな作品とは異なり、水墨画の技法を用いることで独特の魅力を放っている切手です。
狩野長信によって描かれたこの作品は、狩野派の一員であり狩野永徳らの兄弟の中でも際立った才能を持つ画家として知られています。
「花下遊楽図」は彼の代表作でありながら広く称賛され、今日でも多くの人々に愛され続けています。
趣味週間 1963 本多平八郎姿絵 千姫|1963年
江戸時代初期の風俗画である「本多平八郎姿絵屏(ほんだへいはちろうすがたえ)」から一節を取り入れた切手は、播磨姫路新田藩の初代藩主である本多平八郎忠刻が千姫に宛てた手紙のシーンを描いています。
忠刻からの手紙を携える禿(かむろ)と、それを閲覧する千姫が描かれており、当時の衣装や姿勢から、時代の文化や生活様式が反映されている点が特徴的です。
趣味週間 1965 序の舞|1965年
切手に描かれた上村松園の傑作「序の舞(じょのまい)」は、明治から昭和にかけて活躍した著名な女性日本画家による作品です。
鮮やかな朱色の着物を身にまとい、舞を舞う若い女性の姿が鮮明に描かれています。
松園が残した数々の名作の中でも、『序の舞』は政府によって買い上げられ、現在では重要文化財として広く認知されています。
趣味週間 1967 湖畔|1967年
洋画家であり政治家の一面も持つ黒田清輝の名作『湖畔(こはん)』の切手です。
パリ留学中に画家としての道を志し、印象派の影響を受けつつ、独自の『外来派』画風を築き上げ、繊細な女性像を多く生み出しました。
「湖畔」は、名前の通り湖畔で涼む浴衣姿の女性をモチーフにした作品で、柔和な色使いと筆触が穏やかな美しさを表現しています。
1960年代に発行されたプレミア中国切手
1960年代の中国切手にも、以下の通りプレミアのつくものが多くあります。
- ・蝶|1963年
- ・キューバ革命4周年|1963年
- ・牡丹(ぼたん)|1964年
- ・毛主席詩詞(もうしゅせきしし)|1967年
- ・アメリカ黒人の闘争支持(とうそうしじ)|1968年
- ・農村で働く知識青年|1969年
それぞれ紹介します。
蝶|1963年
1963年、中国から特別な蝶モチーフの切手シリーズが発行されました。
中国固有の蝶種をモデルにしており、切手収集家の間で高い人気を誇っています。
全部で20種類販売されており、4元から50元までの異なる価格帯で販売されていました。
額面ごとに1種類の蝶がデザインされており、シンプルながらもデフォルメされたデザインで白い背景に美しく配置されています。
単体の買取価格は比較的低めですが、20種すべてが揃ったセットで、かつ状態が良い場合には、コレクターから高額での買取が期待できるアイテムです。
キューバ革命4周年|1963年
1963年、キューバ革命の四周年を記念して中国はフィデル・カストロの肖像を含む、切手シリーズを6種発行しました。
中国は国際的な外交や人権に関する問題を頻繁に取り上げ、情報拡散的な観点から記念切手を発行することがあります。
記念切手セットには、4元切手2種・8元切手2種・10元切手2種の合計6種類があり、すべて揃った未使用の美品セットの場合、高価買取が期待できます。
牡丹(ぼたん)|1964年
大きな牡丹を描いた切手シリーズは、鮮やかなデザインで切手コレクターたちから高い人気があります。
牡丹は、4元切手2種・8元切手5種・10元切手5種・20元切手1種・43元切手1種・52元切手1種の合計15種類に、加えて小型シートが1種類存在します。
特に、小型シートは、希少性の高さから入手困難で、10万円を超える価格で取引されることもあるアイテムです。
毛主席詩詞(もうしゅせきしし)|1967年
「毛主席詩詞切手」と名付けられたシリーズは、詩人としても名高い革命家、毛沢東が詠んだ詩詞をモチーフにした切手です。
シリーズの第一枚目は毛沢東が詩詞を書く姿を描き、残りの切手は彼が詠んだ詩詞を図柄化しています。
毛主席詩詞切手の切手シリーズは、プレミアム中国切手の中でも特に人気が高く、毛沢東の詩詞は文化大革命期の中国で大変重宝されていたことが背景にあります。
10元切手が3種・8元の切手が9種・4元の切手が2種、合計14種類からなり、すべて揃っている場合、20~30万円で取引されることも珍しくありません。
また、消印があっても価値が認められる場合があります。
アメリカ黒人の闘争支持(とうそうしじ)|1968年
アメリカの黒人差別問題に対して毛沢東が発言したことをテーマにしており、時代背景に深く根ざした意義を持っています。
当時アメリカでは、黒人の解放と権利を主張するブラックパンサー党などの活動が盛んでした。
アメリカ国内で発生した黒人による抗議活動や暴動に対し、毛沢東は支持を表明したことが切手の発行動機となったのです。
切手は鮮やかな赤色を背景に、毛沢東が挙手する姿を描き、彼の左側には黒人の闘争に対する支持を示す声明の一節が金色の文字で記されています。
中国の伝統的な色彩を反映しており、収集家にとっても魅力的な一品です。
農村で働く知識青年|1969年
1969年に中国で発行された「農村で働く知識青年」というデザインは、文化大革命の最中、毛沢東の指示のもと、都市の青少年が農村で肉体労働を経験する「上山下郷運動」を象徴する切手です。
運動の一環として制作されたシリーズは、「働く青年たち」「試験田で学ぶ青年」「老農民に学ぶ青年」「幼児をみる医療班」の4種類の図柄で構成されており、それぞれが運動の異なる側面を表現しています。
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本記事では、1960年代の切手ブーム時代に発売された、今なお価値ある切手を紹介しました。
1960年代の切手は、当時の時代背景や文化を今に伝える貴重な遺産です。
現在、切手は市場価値だけでなく、歴史的背景や文化的な意味合いも含めて評価されるようになり、新たなコレクターたちの注目を集めています。
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